つまるところの話 (1)

他人に対してえらそうにしたくて仕方ない人。そういう人物がときどきいる。一般的にいえば、非常に劣等感にあふれているとそうなりやすい。どんな話をしていても、常に自分の意見を貫こうとする。場面によってはそれを信念と呼んだりもするのだが、他愛のない話、たとえば昨日の昼食がうまかったとかまずかったとかいう類の話にまで、なんとしても相手をやりこめないと気がすまないタイプ。ああ、美味かったんだねで済んでしまう話にも反論する。疲れるのでいちいち相手にしたりしないことが肝要。
もう少し変わったところでは、大変優秀な人材であるのにやたりに威張りちらす人物がいる。優秀なのだから劣等感などなくてよさそうなのだがそうでもない。私生活で劣等感を感じているため、仕事でその分威張っているタイプだ。威張るというようり、他人を威圧することが信条となってしまう。威圧するタイプは、実は逆に威圧されることに弱い。臆することなく抗することが大切。

ともかく、人間の問題はつまるところ幸せかどうかという一点に集約されてしまう。幸せでなければ、その鬱憤をどこかで吐き出したくなり、姿形を変えて他人を襲う。
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# by narihira09 | 2011-08-22 15:09 | 写真

XZ-1

先日、OLYMPUS XZ-1を購入。品薄のようで、人気商品らしい。ひとつにはF1.8の明るいレンズ。テレ端でもF2.5だ。若干大きいセンサー(とはいえ1/1.6ぐらい)でArt Filterも内臓。しかし、あれ?というポイントもある。最大絞り値がF8までしかない。AEロックができない。惜しいね。
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# by narihira09 | 2011-07-21 01:58 | 写真

困った相手


いろいろと困っているが、いちばん困ることはビジネスの相手が正確な情報も出さずにわがままを言うことだと思う。前提条件が違えば方法も結果も違うということだ。もしかしたら、自分も情報を出さずにわがままを言っているかもしれない。
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# by narihira09 | 2011-05-22 03:40 | ポートレート

鬼の首

自分にとんでもないことが起きてしまったとき、われわれはその問題をなんとか解決しようとさまざまなことを試みる。さまざまな試みが効を奏し、解決に向かうならよいが、その試みがことごとく失敗したり、順調に成果を挙げないでいるとわれわれは敵を探すようになる。「あいつのせいだ。あいつのせいでこうなった」とか。あるいは、「だから俺は最初からやりたくなかったんだ」なんてことを言い出す。私も、個人的なことで、うまくいかない人生をうらんで他人のせいにしたことがあった。ほかにそのイライラをぶつける先がなかったのだ。だが、そうしたことは何の解決にもつながらないということは自明の理である。人は感情を持っているが、それをコントロールできないときがあるし、そういう「コントロールできない季節」がある。そんな時期に自明の理は自明ではなかったりする。なにかのタイミングで「俺は解決になんら寄与することのない感情の爆発をしていただけだったのだ」と自らを恥じるときがいずれくるかもしれないが、そのときはわからない。

大地震が起きて、さまざま「評論」が飛び交っている。評論というのはもっとも難しい芸術のひとつだと思うのだが、いまこのとき世間で耳にするのは評論というより「敵さがし」と「攻撃」のように思える。原子力発電所の是非は、今ある問題が解決したあとでじっくり真剣に考えればよい。「私の正しさ」をなんとか証明しようと躍起になるのも「敵さがし」とは違うが何か類似性を感じる。

結局、対象が個人の問題であろうが社会的問題であろうが、こうした感情を爆発させて誰かを攻撃するのはきわめてその攻撃する者の個人的な原因によるものなのかもしれない。幸せでないから、満たされないから、誰かを攻撃してそのはけ口にしているとか、私を認めろと叫んでいるのかもしれない。

ドアを開けよう。

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# by narihira09 | 2011-03-17 03:12

埼玉県川〇市の写真コンテスト(笑)

 写真の話。あるハイアマチュアと呼ばれる男性が、「写真はスナップでなければ意味がない」と言っていた。シャッターチャンスをどう捉えるのかが写真の真髄だと思っていて、彼は、なにかのコンテストの優勝作品が「壷」を砂の上に置いたものを撮影した写真だったことにものすごく憤りを感じていたようだ。
 
 私も応募した某地方自治体の公募写真展での話がある。時代が注目する写真家3名が審査員を務めたコンテストだったので私も応募したのだが、優秀と評された作品に文句をつける爺さんがやはりいた。こんなわけのわからない写真じゃ〇〇市の良さはわからないという主張だ。審査員は、「やれやれ」という表情をしていたが特にコメントしたりしなかった。この爺さん、絵葉書みたいに「美しい」写真が優れていると思っているようだ。この発想は、挨拶に来た市長も同じだった。もう少しいい作品が選ばれると思っていたが、残念だみたいなコメントを残していった。とても選者や応募した人たちに対して失礼だ。どうやら自治体側は、名前が知られている写真家を呼んで、その自治体に存在するかもしれない美しい景観が掲載された写真集を作りたかったようだ。

 日本は世界でカメラ生産に関してはトップを走るのに写真芸術に対しては勘違いが蔓延しているとしかいいようがない。

 ちなみにTopこそ獲れなかったが一応私も入選した。
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# by narihira09 | 2011-03-08 04:23 | モノクロ